その1 縁起の理法と郷土料理の発展計画 2001/01/18
 近代料理と魂の純化。
 時流に乗って、又は添って仕事をしていくこと、生きていくことはむしろ当然のことと思われるし、社会で生きやすくする調整・妥協・協調を計っていくという観点においては、重要かつ大切な処世術であると私も認識をしているけれども。それとは逆の考え方で流れる川に逆って泳ぐことは魂の純化になるはずだ、という私の持論があります。これは例えばジョギング・マシーンを想像していただきたい、あれはどこにも移動せずに同じ場所で運動し体力と筋力の強化をすることができる。それならば逆風に立たされそこで頑張っている者にもきっと魂の純化、光化、進化 などの産物があるはずである、という考え方なのである。
 水晶の玉を磨くように、研磨によって摩擦によってそれは光り輝く。
 外食産業にあって、チェーン店化された某ハンバーガーショップや多くのコンビニエンスストア、ファミリーレストランなどの時流に逆らい、日本料理の王道を行くことこそ、我が道を行く私の進むべき道なのである。
 しかし、だけれども、時代は確実に動いている、決定的に前進している。古いものをただやみくもに守っていくことだけでは進歩がないし、発展もない、時代錯誤に他ならない。そこで、あくまでも日本料理の枠を超えずに、飛び出さずに、その枠内で改革し近代化することこそ日本料理店の進歩、強いては魂の鍛練になると私は考えているのである。
 守りつつ攻める、攻めつつ守る、言葉にすると簡単だが容易ではない高度な技術を要求される。私も本当に出来るのか?いまだに自信を持てないままではあるのだけれど。ただアイディアのみが先行して実を成さないのでは、それは意味を持たない。堅実かつ建設的なプランが手法が必要不可欠なのである。
 縁起の理法、原因と結果、この連鎖の好循環の流れを作りつつ、ひとつの核、軸を作りピーンと張ったラップ紙を指でつまみ上げるが如く、全体を引き上げてゆく。
 では、何を持ってこの"軸"とすべきだろうか?
 それはやはり「鮭」なのである、鮭を軸にして、それをラップ紙をつまみ上げるが如く全体を引っ張り上げてゆく。そうすれば季節季節の地味・滋味・溢れる野菜との融合、上質な米、高品質な三面川のしらす・鮎、岩船や山北の魚貝、豊富な野菜・山菜や茸など、さまざまなその季節の食材も共に引き上げられて行くという手法である。
 私の店の先代がやってきたことは「村上は山紫水明、海山川に囲まれ豊富な食材と文化精度の高い料理法を使って、いつ訪れても堪能できるすばらしい郷土料理を皆さんに召し上がって頂きたい。」というのが先代の主張であり。不祥、私もひとつとしてこの意見に反対する者ではないのだけれども、この表現方法では全体的に焦点がぼやけてしまうのではないのか?と、現実的に社会的認知までに、未だに至っていないというのが現状でのジレンマなのである。そのほとんど同じ考え方から、切り口を変え、手法を変えて、少しだけ違った新手を使う。料理人ならば、あらゆる鮭の食材を使い、己の経験と技術と知力をもってこれに臨めば、一年を通しての洗練された村上の新しい鮭料理を作り出す事が出来るはずだ。それには時間がかかるかもしれない。試行錯誤を繰り返して、きっとそれは現行の鮭料理と比較して見劣りしない、魅力溢れる料理に練り直されることを私は確信している。
 私はこのことを熟考し、考えに考え発表すべきかどうか、ずいぶんと悩んだのだが、私の意見に賛同し、地場文化の発展と自利・利他の思想をもってご理解とご協力を賜りたくネットで発表することにしたのである。
 これらの計画が21世紀初頭の私の本年の課題なのです。色々とご批判のある所でしょうが、何卒ご理解賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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