人間は自由に好きなことをさせるとその部分は向上していくという特性を持っているわけですがこれは自由の定理。 経済で自己の資本を使って利潤を求めて付加価値を生む生産的労働を維持し、自己の生産物の価値を上げ、全生産物の中で価値の比重を上げ、そうしてその価値に等しい収入を得ていく。 アダム・スミスの自由の定理、このフリーダムの思想が国を発展させ経済を発展させていく、これが自由の国アメリカ。 これを盾と矛で支えているのが独占禁止法であり特許法、盾と矛を作り出したフリーダムの思想、そして大きな自由化の流れ。 ただ自分の利益のみを追求しているうちに自らの目的が達成されると同時に社会への貢献も果たしてしまう。それは性善説によって導かれた見えざる手の人間の欲求達成の社会的な効果になるのですが、この逆に「法的な独占禁止法、特許法などが曖昧になる特性」を最大限に利用したのが、真空でスライドされた価値観、これも性善説によって導かれた社会貢献になっています。 この枠組みが法整備になるのですが、その国その国の事情や(たとえば日本の場合物資源産出国ではありません)国民性などを無視して規制緩和だ規制緩和だと唱えてもそれは規制緩和という名前の規制であり、自由化だ自由化だと唱えてもそれは自由化という名前の不自由化になってしまいます、現実に小企業や零細個人企業などはそのあおりをまともに直撃してふらふらになっているのです。国際競争力の視座がが通用する分野とそれがあまり通用しない分野があり、それを使い分けることができる法整備が望ましいと思います。時にある分野では規制は必要であり時にある分野では自由化を取り締まる必要性があると思うのです。国際競争力をつけるということで内需の乱れを起こしては国が内側から壊れてしまいます。そうするとやがては外国資本に日本が覆いつくされていく事態になりかねないと危機感を感じるのです。 この人間の持つフリーダムの特性は縁起の理法と同じくして普遍的な真理なのであると僕は判断しているのですが、これをこのまま濾過しないで自己の経済活動に応用するのは日本人の特性や地方の個性を生かす手段に適していないのではないか考えるのです。 先の挨拶課題で述べました、鮭の主体性の問題ですが、この鮭文化は村上市の財産であり村上の個性でありますが、法的な独占禁止法、特許法などが曖昧になる特性こそが武器であり、フリーダムの定理を狭いレンジで応用してきた従来の鮭文化の伝達が、誠に優れた先人の見識と叡智であったと考えます。無過失責任に敏感で鮭に関する争いの不戦地帯であったわけです。 昨今はどの地域でも消費経済そのものが郊外店化し、旧市街のドーナツ化現象を起こしている次第ですが、村上市の特性や地域的な個性を生かし、自由の定理を真空でスライドさせて、ここ近年町興しの潮流を先駆けた町屋巡りなどの民間活力が形になって、市の活性化に大きな影響を及ぼし、好循環のチェーンが回り始めているところです。 地方が生き延びていくということは日本が生き延びていくということであり、日本中どこに行っても同じになるということは個性の喪失であり特性の喪失であります、地方が衰退していくということは日本が衰退していくということと同義であると僕は考えます。 郷土を愛し国を愛す。誇れる郷土を持ち誇れる国を持つということこそ、世界的な流れのグローバリズムを噛み砕いて解釈し、国益や地方の益を確保するマネタリズムをも内包する強い明日の日本へのエールであり、現在への未来への提言です。
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